瞼の裏側にはいつも笑顔の神様がいる

8月, 2007 のアーカイブ

見れなかったDVD

4月のとある朝。
まだひまわりは元気で、完治を目指して抗がん剤治療をしていた頃です。
彼女は一枚の新聞広告を持って、私の所に駆け寄ります。
「ねぇねぇ、コレ欲しい。」
手には DVD BOX の広告。
さて、彼女が欲しがっている作品は・・・。

刑事コロンボ

そもそも、彼女が刑事コロンボを始めて観たのは、私の影響からでした。
コロンボ役のピーター・フォークの
「ウチのカミさんがねぇ・・・」というフレーズが大好きだった私。
〇曜洋画劇場で放送があると、必ず見ていたものです。
一緒に見ていたひまわりも、ピーター・フォークのあのとぼけた魅力に取り付かれてしまったのです。

「どうせ治療で仕事できないから、コレ全部観てやるんだ!」

そう言えば、4月の30日はひまわりの誕生日。

「よーし、俺がコレを買ってやろう。誕生日プレゼントだ。」
「え~だってアンタもコレ観たいんでしょう?どうしてアタシのプレゼントなのよ!」
我女房ながら、鋭い突っ込みだったのです・・・。

結局、注文したのはいいですが、ひまわりの誕生日には間に合わず、5月になってからの商品の到着になりました。
もう、半分くらい忘れてましたよ!。
忘れてしまう程の到着とあって、少々熱が冷め気味のひまわりさん。
そのうちゆっくり観ようと言うことで、しばらく放置プレー。
しかし6月の半ば頃になると、彼女の身体の具合が悪くなってきてしまったのです。
何をしてもすぐに疲れてしまい、ベッドに引きこもってしまいます。

「ベッドにノートPC持ち込んで、それでDVD見ようか、俺も一緒に観るからさ。」
「うん、でもリビングの大きいテレビで観たいなぁ。もう少し具合がよくなったら、一緒に観ようよ。」

そうこうしているうちに、6月が去り悪夢のような7月2日がやってきてしまいました。
入院生活の中で観れればいいと思い、ノートPCとDVDを2枚だけ、病室に持っていってあげました。
しかしとうとう、ひまわりは一枚も観る事が出来ませんでした・・・。
いつか一緒に見観ようと思って買った、刑事コロンボのDVD BOX・・・。

ひまわり・・・
まだ、四十九日法要まで少し時間があるから、1枚ずつ一緒に観ような。

あ、もう一つだけよろしいでしょうか?・・・
ウチのカミさんがねぇ・・・

最後の言葉

ひまわりが亡くなって、ちょうど2週間が過ぎた頃。
8月10日の夜に、ひまわりの携帯が鳴ったのです。
時間は10時を少し回った頃でした。
私はその電話に出て、とても戸惑ってしまいました。

「もしもし、あの・・・ひまわりさんの携帯ですか?。」

「はい・・・そうなのですが・・・どちら様でしょうか?。」

「あの・・・〇〇と申しますが、今ひまわりさんと待ち合わせをしているのですが・・・来ない様なのです・・・」

「私はひまわりの夫ですが、実は7月の25日にひまわりは亡くなったんです。」

電話をくれた女性は、そのまま泣き崩れてしまいました。
悪い事をしてしまったなぁ・・・。
「またご連絡します」と言って電話を切った彼女。
そして翌日の朝に、すぐにその方からお電話を頂いたのです。
「明日お伺いいたします。お持ちしたい物がありまして・・・」

12日の日曜日の午後。
その方は来てくださいました。
その方は、ひまわりと随分前に会う約束をしていたと言う事でした。
そして、ひまわりと会う理由とは・・・
准看護師であったひまわりに頼まれて、正看護師になる為の通信教材の資料を貰う約束だったのです。
その方は、ひまわりのために資料を持ってきてくださいました。

ご焼香を頂き、寂しそうに話をしてくださったのです。
その方も、准看護師から正看護師になったばかりだと言うのです。
一緒に働こうと、ひまわりと約束していた・・・。
そして、その方の口から少し信じられない事を聞く事になるのです。

「実は、約束の日の前の日、私はひまわりさんに電話をしているんです。その時なんですが、ひまわりさん出てくれたんですよ。私、はっきり聞いたんです。明日だねって・・・。」

思わず私は、ひまわりの携帯を確認しました。
確かに・・・着信履歴にその方の名前がありました。
当然、出た形跡は無く「不在」と記されていました。
しかし、その方はひまわりの声を聞いたと言います。
そうでなければ、待ち合わせ場所には行かないと。

ひまわりが話した最後の人が、その日に来てくださった女性だったのですね。
そしてひまわりは、どうしても正看護師になる資料が欲しかったのでしょうね。
その資料は、今は彼女の祭壇に飾られています。

ひまわりよ・・・
これで勉強をして、そっちの世界でも頑張って働いてくれ。
大好きだった看護師の仕事、そっちでも出来るな。
よかったね、ひまわり・・・。

不思議な出来事

新しいカテゴリ「ひまわりの花言葉」を新設しました。
これからは、このカテを中心に毎週末に一度の更新をして行こうと思っております。
今週と来週は、ひまわりが亡くなってから起きた、ちょっと不思議な出来事を書きます。

ひまわりが亡くなってから、しばらくしての事です。
私は、色々な用事に追われる日々を送っていました。
ある日、彼女の遺品を整理していると、彼女の携帯電話を見つけました。
もう、とっくに電池が切れてしまっている携帯電話。
充電コードに繋いで見ると、次々にメールを受信します。
御通夜や葬儀に来て下さった友達から、お悔やみのメールがありました。
「ひまわり、天国で安らかに眠ってね。」
「もっと一緒に遊びたかったね、ゆっくり休んでね。」
そんなメールの中に、まだ彼女の死を知らない人のメールがあったのです。
「お元気ですか?今度また一緒にお茶でも飲みましょう。」
「この前病院に行ったら、いなかったね。退院したの?。」
私はそんな友達に、辛いメールを返信しました。
「信じられない・・・」「あんなに元気だったのに・・・」
そんなメールが次々と帰って来ました。
とても辛いですが、それも私の仕事だと思いました。

そして、ある日の事。
一本の電話が鳴るのです。
その電話は、思いもよらぬ人からだったのです。
「もしもし?猫さん?俺、誰だかわかる?」
声の主は、もう13年もの間連絡が無かった、私の友達だったのです。

彼とは、私達が結婚する直前に引越しをしていった友達だったのです。
当時は携帯電話は普及しておらず、家電だけが唯一の連絡方法でした。
その家電も、お互いが忙しいという事で出る事が出来ず、そのうちお互いが引越しをしてしまったために連絡が付かなくなってしまったのです。
彼はたまたま、私と彼との共通の友達のお店に来たという事で、私の連絡先がわかったのです。
「奥さん、亡くなったのか!あの時付き合っていた子だよな・・・そうか・・・。」
彼は、今度必ず会おうという約束をして、電話を切りました。

ひまわりが亡くなって、たった数週間で13年ぶりに話した友。
ひまわりの仕業だ。
私はそう思わずにいられませんでした。
ムシが知らせると、人はよく言います。
きっとそんな出来事だったと、私は思えてなりません。

「きっと猫は、私が死んで寂しがっているんだろう」
そう彼女が思って、懐かしい友達に知らせてくれたんだって・・・

それぞれの人となり

本当にたくさんの皆様から、お悔やみのお言葉をいただきました。
コメントやメールや、その他の手段でも温かいお言葉を頂戴いたしました事を、ここで御礼申し上げます。

最近ちょっと思うことがありました。
そういった言葉って、誰かに言われたから言うものなのかな?。
実は、こんな事がありました。
以前ここにいつも来てくださっていた方がいました。
どういう理由か知りませんが、最近はすっかり来てくれていません。
私はその方にも、妻の訃報をお知らせしましたが、とうとうお悔やみの言葉をいただけませんでした。

そして、その人に言ってくれた人がいました。
何か言ってあげたら?と・・・。

そう言うのもどうかと思うんですよね。
言えと言われてもらう言葉など、意味があるのかな?。
何も言わないというのも、メッセージであり意思表示であると思います。

結局その人は、私に言葉をかけてくれる事はありませんでした。
今となってはその方の心境にどんな変化があったか、私には知る術がありません。
しかしですね、どんな理由があるにせよ、かつてはやり取りをしていた人の大切な人が死んだ時に、何も言葉を送れないというのは、人としてどうかと思います。
こんな人もいるもんだなって、ちょっと寂しく思ってしまいました。

お知らせ
ひまわりのブログ
最終回、更新しました
看護師なのに・・・

新しい生活

元気に、仕事ブログ復帰しました。
いつまでもクヨクヨしていては、ひまわりに怒られてしまいますから。

時は全てを連れて行くものらしい
なのにどうして 寂しさを置き忘れていくの

寂しさを払拭など出来ません。
どちらかと言うと、それはしたくない。
いつまでも、いつまでも、覚えていたい寂しさなんだ。
そんなものを背負って、歩いていく人生だって、いいでしょう?。

ブログをやっていると、いろいろな人がいるなって思います。
こんな事を書いたら人を傷つけるって事が、麻痺してる人とか。
全てを理解した上で、許さなきゃ・・・
そして頑張らなきゃ。

私の使命は、息子を一人前に育てる事。
ひまわりが残してくれた、大切な宝物ですから。

再び歩き出しました。
皆さん、よろしく!。