一頭の競走馬から貰った物・後編
私の大好きな競走馬、ライスシャワーには「勝つ事が望まれない馬」というレッテルが貼られてしまいました。
大衆が選んだヒーローは、メジロマックイーンでありミホノブルボンだったのです。
ライスは、この2頭の大記録達成の邪魔をしただけでなく、事もあろうにライスと死闘を繰り広げたブルボンは、そのレースがきっかけで故障し、引退を余儀なくされてしまったのです。
ライスはいつしか「関東の黒い刺客」とまで呼ばれるようになりました。
しかし、ひねくれ者の私は、そんなライスがたまらなく好きになって行ったのです。
マックとの天皇賞を勝利で終えたライスは、夏の休養に入ります。
夏の間ゆっくり身体を休め、秋のG1戦線に備えるのです。
ところが、夏の終わりになっても、ライスには春の気合が戻りません。
ライスは春の天皇賞で、マックを打ち破る事にすべてのエネルギーを消費し、燃え尽きてしまったかのようでした。それだけ、春の天皇賞でマックに勝つというのは偉業だったのです。
当のマックはというと、天皇賞の後の宝塚記念を涼しい顔で圧勝しています。
マックにとって、春の天皇賞の敗北は、彼のレースキャリアの中の単なる一敗に過ぎなかったのです。
マックに単なる一敗を与えるために、ライスは燃え尽きるほどのエテルギーを費やしたという事は、ある意味でライスはマックに敗北していたのかもしれません。
ライスは本調子が戻らないいまま、秋のG1戦線に挑まなくてはならなくなりました。
初戦、オールカマー(GⅢ2200m)は格下の相手に敗戦。3着に敗れます。
その後、天皇賞・秋(GⅠ2000m)6着、ジャパンカップ(GⅠ2400m)14着、有馬記念(GⅠ2500m)8着と凡走を繰り返し、ついにライスは競走馬として一番強い時期と言われている5歳の秋を、一勝も出来ずに終えるのです。
翌年、平成6年。ライスは京都記念(GⅡ2200m)も5着に敗れ、2度目の春の天皇賞の前哨戦、日経賞に挑みます。
そのレースは5歳になったばかりの強豪、ステージチャンプも出走し第三コーナーから早くも先頭に立ったライスを差し切り優勝。ライスは強豪チャンプの2着という事で、復活の兆しが見えたと思われたのです。
ところが、本番の天皇賞を前に、ライスは不幸に見舞われるのです。
調教中、急に足を地面に着けなくなるほどの痛がり方を見せたのです。
診察結果は、骨折でした。この時点でライスの2年連続の天皇賞制覇の夢は、潰えました。
骨折はかなり深刻で、ライスの現役生活を脅かすほどのものでした。
ところが、ライスは平均的な競走馬よりも。小柄な馬だったのです。
軽い馬体重のお陰で回復も早く、その年の復帰は無理であろうと思われていたのですが、なんとか年内に復帰できる目途が立ったのです。
目標は暮れの中山競馬場、有馬記念です。
そのレースには、その年日本中を沸かせた最強4歳馬ナリタブライアンと、外国産の最強4歳牝馬ヒシアマゾンが出走するのです。
病み上がりのライスに勝ち目はありません。ライスにとっては病み上がりの初戦、勝つ事よりもレース勘を取り戻させるための出走だったのです。たまたまそこに、最強4歳馬2頭がいただけだったのです。
レースは予想どうり最後の直線で、最強馬2頭のマッチレースとなります。
ところが馬群から抜け出す2頭を、必死で追うもう一頭がいました。
ライスです。ライスはこのレースに勝つために、必死で2頭を追ったのです。
陣営は勝つつもりなど無かったのに、ライスの中には勝つための闘志が甦っていたのです。
結局、最強馬2頭には追いつけずに、ライスの有馬記念は3着に終わりました。
しかし、ライスに勝つための闘志が帰って来たことは、陣営にとって大きな出来事だったのです。
翌年、平成7年。ライスの馬齢は数え7歳になりました。
もう、競走馬のピークを越え、ベテランの域に達したライスの目標は、恐らく最後になるであろう春の天皇賞です。
この天皇賞こそ、前編で私が書いた私たちのレースになるのです。
その前哨戦、昨年と同じローテーションで京都記念、日経賞と2つのレースに出走しますが、京都記念6着、日経賞6着と凡走します。
いよいよ最後の天皇賞を前に、ライス陣営に一つの大きなニュースが飛び込んできます。
あの最強馬、ブライアンが故障し天皇賞を回避するというのです。
陣営に、ライスに最後のGⅠを勝たせてあげられるかもしれないと言う、希望が生まれたのです。
そして”私たちのレース”平成7年の春の天皇賞の幕が上がります。
前編で書いたように、ライスはこのレースをチャンプとの激しいデットヒートの末に、勝利するのです。
ライスにとってこのレースは、どんな意味合いがあったのでしょうか?。
スターホース不在のこのレースで、ライスは初めて市民権を得たのです。
ブルボンを破壊し、マックの夢を打ち砕いた”関東の黒い刺客”は、初めて競馬ファンに受け入れられたのです。
その結果は、ファン投票で出走馬が決められる次のレース、宝塚記念の投票結果に表われます。
ライスはファン投票1位で、宝塚記念出走を決めます。
いや、決めてしまうのです。運命のレースの出走を・・・。
天皇賞でチャンプとの死闘を繰り広げ、勝利したライスは宝塚記念のための調教を受けます。
競走馬のピークを越えてしまったライスにとって、この調教は苦しいものだったはずです。
それでもライスは、調教を拒んだりはしない性格だったのです。
恐らく肉体的にも、精神的にも限界をはるかに超えていたのではないかと思います。
それでもライスは”運命のレース”宝塚記念に出走してしまうのです。
平成7年6月4日、第36回宝塚記念(GⅠ2200m)。
事故は11万の大観衆の目の前、最後の第三コーナーから第四コーナーの中間地点で起こりました。
後方5番手あたりを追走していたライスは、突然もんどり打つように転倒したのです。
ライスは苦痛にもだえながら立とうとしますが、再びその場に崩れ落ちました。
左第一指関節脱臼・・・。
ライスの左前足の骨は、肉と皮を突き破り外に露出していたそうです。
もう2度と立ち上がることの出来ないという診断結果でした。
予後不良・・・。
ライスは11万の観衆の目の前で、安楽死処分がくだされました。
その後、私は一度も馬券を購入していません。全てのギャンブルを止めました。
ライスが私にくれた物はなんだったのでしょうか。
結婚のきっかけをくれた馬。ギャンブルを止めさせてくれた馬。
それよりも、私はライスシャワーという馬が好きでした。
好きで、好きで、好きで、好きで、好きで、好きで、好きで、好きで・・・・・。
大好きな彼の走る姿を、もう2度と見る事は出来ない悲しさ。
彼の子供が走るのを、楽しみにしていた希望を打ち砕かれた悔しさ。
そんな、どうしようもない悲しさを乗り越える勇気を、ライスは私に残してくれたのかもしれません。
家畜にお墓はありません
人間のためにこの世に生まれ
人間のために生き
人間のためにしんでいく
死ねば肉になります
だから家畜には
お墓はありません
ライス。あなたの立場は家畜だけど、あなたにはお墓が与えられたよ。
あなたはどんなに嫌でも、調教や出走を拒んだりしなかったね。
だから、こんなに早く逝ってしまったんだね。
もう、キツイ調教もレースもする事はないよ。
今は天国のターフを思いっきり走っているのかい?。
皆、あなたの事をいろいろ言ったりしたけど、
最後は皆、あなたの事を応援してくれたんだよ。
良かったね、本当に良かったね、ライス。
私はあれから結婚したよ。子供も生まれたよ。
あなたのいないこっちの世界で、今も頑張って生きているよ。
時々あなたの走る姿を、思い出しながら・・・。
一頭の競走馬から貰った物・・・完
最近のコメント