私はクリスマスというのが、あまり好きではありませんでした。
小さい頃から両親ではなく祖母に育てられたため、サンタクロースの存在も認識していませんでした。
クリスチャンでもない日本人が、何故この日だけ大騒ぎするのだろう?。
私はクリスマスが来る度に、早く終ってしまえばいいと思っていました。
ラフ君の
親父さんネタを読んでいたら、何となく私も
親父の事を思い出しました。
私は
親父に育てては貰えなかったから、
ラフ君の事が羨ましくて仕方がありません。
なんか、私の自伝を読んでみたいよいう
お方もいらっしゃるようなので・・・。
それでは、私の親父の事を書いてみようと思います。
1967年、私は生まれました。
私が生まれて一番喜んだのは、祖母だったようです。
何でも、私の母から私を奪ってしまう勢いだったとか・・・。
私自身の記憶が無いのではっきりした事は言えませんが、祖母の異常なほどの私の可愛がり方が原因だったのかも知れません。
私の両親はその後、私を育てる事を放棄して離婚しました。
私はそのまま祖母に育てられ、親父は失踪しました。
それ以来、私の両親は死んだ事になりました。
両親のいない子供である私は、祖母と2人っきりで生きていきました。
両親がいないというネタで、近所の子供からからかわれる事もありましたが、私はからかう相手に哀れみすら感じていました。
「こいつはお父さんもお母さんもいるのに、なんて弱いんだろう・・・。」
少しスレた少年招き猫は、それでも明るく成長したように思います。
その頃親父は、土方などの仕事を転々としていたようでした。
自分の稼いだお金は、貯金するでもなく全てギャンブルと酒だったようです。
これが私の親父が自分の息子を育てるという、義務を放り出して行っていた事の全てです。
親父が再び私の前に現れたのは、私が小学4年生位の事でした。
学校から帰ると、その男は祖母と一緒に私の家にいました。
その男は私の叔父と名乗りました。
一緒に食事をしてその日その男は帰りましたが、それからたまに私の前に現れる様になりました。
休日などに現れては、私を遊びに連れて行ってくれたり、キャッチボールをしたりしました。
その男はとても楽しそうだったし、私も楽しかった・・・。
それからしばらくして、男は祖母と大喧嘩をして、また私の前から姿を消しました。
そしてその後、私は祖母からあの男が私の親父だと聞かされたのです。
親父が再び私の前に姿を現したのは、私が二十歳の頃でした。
話を聞くと、親父は心を改め、私の為に貯金をするという。
”何時から?”と聞くと”明日から”と親父はこたえました。
私は親父が心を改めたとは、到底思えなかったのです。
私の予想通り、親父が私にお金をくれる事はありませんでした。
それでも、たまに姿を現すようになった親父は、他に迷惑をかけるではなく、自分の力だけで生きていました。
親父が私に迷惑をかけたのは、私が今のカミさんと一緒になる年でした。
パチンコ屋で突然具合が悪くなった親父は、私の家に訪れしばらく泊めてくれと言いました。
親父は高熱の中意識が混濁し、私は救急車を呼ぶ事になりました。
病名は髄膜炎でした。そのままICUに入院し、医師は万が一の事もあると私に言いました。
どうしようもない親父でしたが、悪運だけは強かったのでしょう。親父は生還しました。
著しい難聴という代償を払って・・・。
幸か不幸か、親父は障害者の認定を受けました。
私は役所で手続きを取り、親父の面倒を見る義務を解除してもらいました。
私はそんな冷たい人間なのです。
親父は今も私のマンションから程近い、ワンルームの賃貸住宅で一人暮らしをしています。
市役所から出る生活保護を、自分の為に使いながら。
やはり貯金は全然していません。(お金を何に使っているのかは、想像にお任せします。)
そんな親父を、私は月に一度家に呼び、孫の顔を見せてやっています。
しかし、親父はかわいい孫の声を聞く事は、一生できないのです。
息子も親父にとても良く懐いています。
今年のクリスマスは、親父を呼んでやろうかな・・・。
息子には、クリスマスを嫌いになって欲しくないから。
親父は孫である私の息子を抱く度に、とても嬉しそうに言うのです。
「やっぱり孫ってのは、かわいいものだなぁ。」
最近のコメント