瞼の裏側にはいつも笑顔の神様がいる

12月, 2005 のアーカイブ

猫も走る師走

ここの所、何かと忙しかったりします
なかなか皆さんのブログに遊びに行けなかったり
せっかく頂いたコメントに
お返しをするのが遅くなってしまったりと
大変申し訳ございません。
 
さて、私の挑戦ですが
結構ハイペースで進んで来た為に
私自身が年内達成という感じで盛り上がってしまいました。
 ここで一つ確認していただきたいのが
本来私が目標設定したのは
1月中という事でございます。
どうぞ、挑戦を宣言した記事をご確認ください。
 11月16日挑戦に挑戦
 
しかしながら
盛り上げてしまった以上
年内達成にも挑みたいと思っております
12月29日に最後の撤去のため
内定している盗聴波を追ってみたいと思っております。
その日は年内達成のための
ラストチャンスという事にさせていただきます。
 
という訳で
皆の元気をオラにくれ!
 大騒ぎ! 
 

 

愛と死をみつめて

来年の新春のテレビ番組で、「愛と死をみつめて」というドラマをやるそうです。
当然の事ながら、吉永小百合さんがミコ役をやったオリジナルは、私は見ておりません。
今回のミコ役は、広末涼子さんだそうで・・・健康そうなミコさんで、なんだかなぁ。
春頃だったでしょうか。ラジオドラマという形で、ニッポン放送でやっておりました。
私は仕事中に車の中で、泣きながら聞いておりました。
 
そんな話しを、私の祖母としておりました。
祖母曰く、「泣くから見ない」だそーで・・・。
実は、この作品と我が家の間には、色々ありまして・・・。
今回はそんなお話を書かせていただきます。
 9月に私がここで書いた記事に季節外れの怖い話と言うのがありまして。
その時に出てきた”よっちゃん”の話をさせていただきます。
過去記事をご覧になっていらっしゃらない方は、リンクになっておりますのでどうぞご覧下さいね。
 
よっちゃんは私の叔母に当たる女性です。
私が生まれて半年後に、よっちゃんは思いもよらぬ病気を見つけます。
よっちゃんが14歳の時でした。
今でこそ、膠原病という病気は、すぐに命がどうのという病気ではありませんが、その当時は全くの未知の病気だったそうです。
医師は私の祖母に、愛しい愛娘の余命を告げたと言います。
 
私の祖母と同じように、私の誕生を喜んでくれたのは、よっちゃんだったと言います。
病気発覚後、入院しているよっちゃんは、私の祖母に事あるごとに私を連れてくるように言ったといいます。
私はとてもよっちゃんに愛されていたのですね・・・。
そんなよっちゃんに、私も良くなついていたようでした。
幼い私の笑顔が、よっちゃんの心の拠り所になっていたようです。
 
看病に疲れていた私の祖母に、ある日よっちゃんは言ったそうです。
「お母さん、大変だろうからたまには温泉でも行っておいで。父さんにはここへ来ていた事にすればいいから・・・。」
その言葉に、私の祖母は涙したそうです。
大変な病気をしているというのに、看病している自分の母に気を使える優しい人だったのですね。
 
「本人の好きな事をさせてやってください。」
ある日医師がそう言ったそうです。
余命の少ないよっちゃんに対して、医師の計らいだったのでしょう。
その後、よっちゃんは退院したそうです。
よっちゃんは、私の祖母と旅行などをしたそうです。
その度、私を連れて行ってくれたと言います。
旅行に行く度に、私の荷物(おむつやミルク等)をすすんで持ってくれたのは、よっちゃんだったと言います。
「なんで私は病気なのに、コイツのおむつを持たなきゃいけないの?」
とよっちゃんは言いながら、それでもとっても嬉しそうだったそうです。
 
よっちゃんは、自分の余命を知らないままその後再入院となり、病気発覚後半年で旅立ちました。
その後、私の祖母は後を追うことを考えたそうです。
よっちゃんの病室の整理をしていた時、一冊の本が見付かります。
その本こそが、「愛と死をみつめて」でした。
私の祖母は言います。
「あの子は自分の余命を知っていたのでしょう。私たちがあの子の余命を隠しているつもりだったのに、隠していたのはあの子だった・・・。」
その本が、よっちゃんからの、自分の母へのメッセージだったのでしょうか?。
私の祖母は、生きていく事を選びました。
「よっちゃんの分まで、私が生きてやらなきゃ・・・。」
 
我が家では、新年のこのドラマを見るか見ないか、非常に揉めております。
「広末涼子じゃな・・・」と祖母。
「せめて田中麗奈ちゃんだったら良かったのに・・・」と私。
「あたしゃどっちでもいい」とカミさん。
「トーマスのビデオかけて~」とキアヌ。
 
こんな我が家を、きっとよっちゃんは天国から呆れ顔で眺めている事でしょう。
私が若い頃、よく天国から私に会いに来てくれたよっちゃん。
私の心が汚れてしまったせいか、最近私にはよっちゃんの姿が見えません。
どんな形でもいいから、たまには会いたいな・・・。
 
誰もいない所に向かって、よくキアヌが「こんにちは」と言っています。
 
もしかしたら・・・。
 天使 

寒い夜だから

いったいこの寒さは何なのでしょう・・・。
こんな寒い夜は、あたたか~いシチューか何かで食卓を温めたいですねぇ。
と言うわけで今回は、洋食の基本!招き猫のクリームシチューの作り方で~す!。
 
材料
鶏肉:好きなだけ。
玉ねぎ:適当。
にんじん:入れたいだけ。
じゃがいも:結構な量。
コンソメスープの素:1個位。
牛乳:結構たくさん。
バター:いっぱい。
小麦粉:自分で考えて。
ベイリーブス:1枚でいいんじゃない?。
チーズ:チッチキチー。
 
①まずは鶏肉を適当な大きさにカットして、お鍋の水の中に入れて煮ましょう。
 
出来上がるとお肉は縮みますので、少し大きめにカットするといいでしょう。
そしてひと煮立ちしたら、コンソメスープの素を入れましょう。
 
②その後一番煮えにくいにんじんをカットして入れます。
 
アク取りをこまめにしましょう。
 
③しばらく煮たら、さらに玉ねぎじゃがいもをカットして入れましょう。
 
塩コショーをして味を調え、更にアク取りをこまめに。
煮込み料理は、アク取りが勝負の分かれ目になります。
 
④メインのお鍋はトロ火にして、アクを取りながら少し放っておきましょう。
そのスキに、ベシャメルソースを作ります。
ベシャメルソースは手間がかかり、そして難しいのですが、私のやり方はとっても簡単。
その全てを公開いたしましょう!。
まず、ルーの基本となる小麦粉をバターで炒めます。
男の料理ですから、品目量は全て目分量です。
鍋全体を小麦粉でとろ味を付けるイメージで小麦粉を鍋に入れ、そこへバターを加えます。
火は超トロ火でバターを溶かしながら小麦粉と合わせていきます。
バターは、栗きんとんのきんとんのような固さになるまで加えます。

こんな感じですね。

そして更に炒め続けます。
この時によ~く小麦粉を炒めないと、出来上がったベシャメルソースは粉っぽい味になってしまいます。
ねばりのあるルーが、炒め続けると少し白っぽく変色し、ポソポソな状態になったら粉に火が入った状態ですので、目安にしてください。
 
⑤ルーに牛乳を合わせます。
ココで私流のやり方を披露しましょう。
普通、別の鍋で牛乳を温めてから加えるとか、少しづつ牛乳を加えるなどして、ソースにダマが出来ない努力をしますが、私のやり方は牛乳を冷たいまま一気に全部入れてしまいます。
もちろんその後、同じようにスパテラ(ヘラ)でのんきにかき混ぜていては、ソースはダマになります。
そこで私が使うのは、スパテラの換わりにホイッパー(泡だて器)です。
牛乳を入れた鍋を、ホイッパーで素早く激しくかくはんします。

そしてルーと牛乳が混ざったら、火を超トロ火からトロ火と中火の中間位にして更にこのままホイッパーでかくはんし続けます。

そしてルーが沸騰すれば、クリーミーなベシャメルソースの完成です。

 
ソース自体にも塩コショーで味を付けます。
グラタン等をつくるベシャメルは、さらに玉ねぎやにんじんパセリなどを入れて煮込み、最後に裏ごしするのですが、今回はクリームシチューですからそういう味はスープに既に付いていますので、このままで良いでしょう。
このベシャメルソースは、その他の料理に応用できますから、是非覚えておいてくださいね!。
 
⑥いよいよ野菜とお肉の入ったスープに、特製ベシャメルソースを加えます。
 
美味しそうですねぇ~!。
 
⑦最後にベイリーブス(月桂樹の葉)一枚と、とろけるチーズを少量入れて煮込みましょう。
 
1時間ほど煮込んで、味を見てください。
美味しければ出来上がりでございます。
 
私はこれに、シメジとオニオンスライスと一緒に、ライスをバターで炒め塩コショーした、バターライスを添えてみました。
パスタにかけても美味しいですよ~!。
鶏肉は、噛む必要が無い位、とろけておりました。
皆様のお宅でも、いかがでしょうか?。
寒い夜にはもってこいの料理ですよ~!。
 スパゲッティー 

父の背中ときよしこの夜

私はクリスマスというのが、あまり好きではありませんでした。
小さい頃から両親ではなく祖母に育てられたため、サンタクロースの存在も認識していませんでした。
クリスチャンでもない日本人が、何故この日だけ大騒ぎするのだろう?。
私はクリスマスが来る度に、早く終ってしまえばいいと思っていました。
 
ラフ君親父さんネタを読んでいたら、何となく私も親父の事を思い出しました。
私は親父に育てては貰えなかったから、ラフ君の事が羨ましくて仕方がありません。
なんか、私の自伝を読んでみたいよいうお方もいらっしゃるようなので・・・。
それでは、私の親父の事を書いてみようと思います。
 
1967年、私は生まれました。
私が生まれて一番喜んだのは、祖母だったようです。
何でも、私の母から私を奪ってしまう勢いだったとか・・・。
私自身の記憶が無いのではっきりした事は言えませんが、祖母の異常なほどの私の可愛がり方が原因だったのかも知れません。
私の両親はその後、私を育てる事を放棄して離婚しました。
私はそのまま祖母に育てられ、親父は失踪しました。
 
それ以来、私の両親は死んだ事になりました。
両親のいない子供である私は、祖母と2人っきりで生きていきました。
両親がいないというネタで、近所の子供からからかわれる事もありましたが、私はからかう相手に哀れみすら感じていました。
「こいつはお父さんもお母さんもいるのに、なんて弱いんだろう・・・。」
少しスレた少年招き猫は、それでも明るく成長したように思います。
 
その頃親父は、土方などの仕事を転々としていたようでした。
自分の稼いだお金は、貯金するでもなく全てギャンブルと酒だったようです。
これが私の親父が自分の息子を育てるという、義務を放り出して行っていた事の全てです。
親父が再び私の前に現れたのは、私が小学4年生位の事でした。
 
学校から帰ると、その男は祖母と一緒に私の家にいました。
その男は私の叔父と名乗りました。
一緒に食事をしてその日その男は帰りましたが、それからたまに私の前に現れる様になりました。
休日などに現れては、私を遊びに連れて行ってくれたり、キャッチボールをしたりしました。
その男はとても楽しそうだったし、私も楽しかった・・・。
それからしばらくして、男は祖母と大喧嘩をして、また私の前から姿を消しました。
そしてその後、私は祖母からあの男が私の親父だと聞かされたのです。
 
親父が再び私の前に姿を現したのは、私が二十歳の頃でした。
話を聞くと、親父は心を改め、私の為に貯金をするという。
”何時から?”と聞くと”明日から”と親父はこたえました。
私は親父が心を改めたとは、到底思えなかったのです。
私の予想通り、親父が私にお金をくれる事はありませんでした。
 
それでも、たまに姿を現すようになった親父は、他に迷惑をかけるではなく、自分の力だけで生きていました。
親父が私に迷惑をかけたのは、私が今のカミさんと一緒になる年でした。
パチンコ屋で突然具合が悪くなった親父は、私の家に訪れしばらく泊めてくれと言いました。
親父は高熱の中意識が混濁し、私は救急車を呼ぶ事になりました。
病名は髄膜炎でした。そのままICUに入院し、医師は万が一の事もあると私に言いました。
 
どうしようもない親父でしたが、悪運だけは強かったのでしょう。親父は生還しました。
著しい難聴という代償を払って・・・。
幸か不幸か、親父は障害者の認定を受けました。
私は役所で手続きを取り、親父の面倒を見る義務を解除してもらいました。
私はそんな冷たい人間なのです。
 
親父は今も私のマンションから程近い、ワンルームの賃貸住宅で一人暮らしをしています。
市役所から出る生活保護を、自分の為に使いながら。
やはり貯金は全然していません。(お金を何に使っているのかは、想像にお任せします。)
そんな親父を、私は月に一度家に呼び、の顔を見せてやっています。
しかし、親父はかわいいの声を聞く事は、一生できないのです。
息子親父にとても良く懐いています。
今年のクリスマスは、親父を呼んでやろうかな・・・。
息子には、クリスマスを嫌いになって欲しくないから。
 
親父である私の息子を抱く度に、とても嬉しそうに言うのです。
「やっぱり孫ってのは、かわいいものだなぁ。」
 
 野球 

ささやかな欲望

またまた頂きました、バトン。
 
今回はまるサマより頂戴しました。
 
タイトルは、
 
今欲しいものバトン
 
はたして、私招き猫にはどのような野望があるのでしょうか。
 
それでは行って見ましょう!。
 
Q1:今、やりたい事
 
田舎暮らし。魚釣りをしたり、畑を作って無農薬野菜を作ったり、動物を飼ったりして暮してみたいです。
房総か伊豆に土地がほしいですねぇ。地震が来てからにしたいですね。
それから、出来ればなるべく息子の為に時間を使ってあげたい。
キャッチボールやトスバッティングをしたり、魚釣りやいろいろなところに連れて行ってあげたい。
 
Q2:今、欲しいもの
 
長い目で見て、Q1を実行する為の財務基盤。
取り合えずなら、仕事の為の新しい設備。
アジアアロワナとそれを飼育する為の150Cm水槽と、オーバーフローろ過システム。今いるポリプテルス・エンドリケリー君たちと、一緒に泳いでいただきたい。
 
Q3:現実的に考えて、今買ってもいいもの
 
新しいPC。今のはもう3年も使っていますので、いつHDがドカン!するか・・・。
来年には買いたいですねぇ。
仕事専用に使っていた車が、とうとう壊れました。
15万キロも乗ったので、仕方ありませんが・・・。
友達の板金屋(招き猫とゆかいな仲間①参照)の所に、何かいいの落っこちていないかな・・・。
ワゴンタイプの軽自動車がいいな・・・。
 
Q4:現実的に考えて、今欲しいし買えるけど買ってないもの
 
車のオイル交換しなきゃな・・・。年内にやろっと。
あ!そうだ、宝くじ買わなきゃ・・・。買わなきゃ当たんないぞっと。
 
Q5:今欲しい物で、高くて手に入りそうに無い物
 
Q2で書いた物以外は無いですねぇ。
あまり物に執着しないもので・・・。
 
Q6:只で手に入れたい物
 
物ではないですね。
ほんの少しでいいから、今よりも幸運になりたい。
 
Q7:恋人にもらいたい物
 
カミさんでいいすか?。
一緒にいる時間かな。また家族で旅行に行きたいですね。
息子を富山のトロッコ電車に乗せてあげたい。
 
Q8:恋人にあげるとしたら
 
何気に現金が一番喜ぶような気が・・・。
何か、美味しいものでも作ってあげますか。
 
Q9:バトンを渡す人5人
 
最近バトン記事が多くて、バトンをまわしすぎですよね・・・。
今回は指名を遠慮させていただきます。
ご興味がある方、是非お持ち帰りください。
 
私は、あまり欲しい物って無いようです。
時間とか、体験もの、旅行みたいなのがいいですね。
出来るならば、未来からやってくる”ネコ型ロボット”が一匹ほしいですが、なかなか引き出しから出てきてくれません。
せめて”どこでもドア”だけでも置いていってくれないかな~。
そうしたら車売っちゃうのに・・・。
 仕事が山積み 
 
 
 

輝きながら~

またまたバトンです。
 
今回はD-DROPさんから頂きました。
 
頂いたのですが、私には少々難しかったですねぇ・・・。
 
題して
 
◎バトン
どうなることやら・・・いってみましょう!。
 
Q1:自分が一番輝いていた思い出
はっきり言ってありませんね・・・。強いて言えば、今かな。なんちって・・・。
遥か昔、遠いにしえの頃にコックをしていました。
喫茶店の厨房を任されたり、カウンター(パフェや飲み物を作る所)をやったりと、いろいろ勉強していたのです。
すると、ある人が私の作るフルーツパフェの美しさと、料理の味を気に入ってくれたんですね。
そして、私はその人が出す喫茶店に引き抜かれたのです。
「全て任すから、チーフとしてやってくれ。」
若干二十歳の私は、お店を一軒立ち上げたのです。
メニュー構成から厨房の設備選び、業者さんとの交渉、などをやらせてもらいました。
仕事が楽しかったし、燃えていたし、輝いていたのはその時かもしれませんね。
 
その社長の奥さんという人が、お店を一緒に手伝ってくれたんです。
私は毎日14時間くらいお店に出ていたのですが、奥さんは好きな時間に来て好きな時間に帰るという事を繰り返していました。
遊びに来ているようで、私は少々ムカついたんですね。
とうとう私は帰宅する時に交通事故を起こして、そのまま辞めてしまいました。
なんか、あんまり輝いていませんねぇ・・・。
 
Q2:自分の答えからイメージした質問
料理人という職業について
美味しい物を作って、お客様に食べていただき、料金を貰うというお仕事ですね。
誰でもわかりますよね、そんな事・・・。
料理って、手を抜こうと思えばいくらでも出来るんですよね。
では、手を抜かないようにするには、どうすればいいのでしょうか?。
私の場合、食べてくれる人の笑顔を思い浮かべました。
お客様が「美味しい!」と言ってくれる事をイメージして、料理を作っていました。
「料理は科学だ」といった料理人がいましたが、私の料理は”愛”だったのですね。
 
ところが、料理を作る仕事をしていると、決して愛情などを注ぎたくないような人も、お店にやって来るのです。
お金を払えば何をしてもいいと思っている人や、人に威圧感を与えて自分の思い通りにしようとする人等・・・。
そういう人にも、私は料理に愛を注がなければならないのが、とても苦痛に思えてきたのです。
ま、若かったという事で、プロ失格という所でしょうか。
今は、自分の愛情を注げる人だけの為に、料理の腕を振るう事にしております。
 
Q3:バトンを渡してくれた人へのメッセージ
D-DROPさん
素晴らしい可能性を持っていますね。
子供が描いた絵を見て、その子の性格や精神状態を鑑定する”アートセラピー”を勉強中です。
是非、その技術を得とくして、悩める子供達に手を差し伸べていただきたい。
お若いのに、辛い体験をされてきましたね。
でも、DROPさんなら優しくて素敵な彼氏を、必ずゲット出来ますから自信を持って自分の信じる道を歩んでくださいね!。
そして早くブログの内容が、彼氏ののろけになりますように・・・。
 
Q4:次にバトンを渡す人(3人)
KZさん、輝いているのは、やはり今ですか?お願いします!。
わさびさん、また無視するんやろ~。
吉田淳也さん、こうなったらしつこく指名してやる~!。
 
人生で一番輝く時が、未来にやってくる事を信じたいです。
今まで努力した事が全て報われる・・・そんな時代が来る事を。
 
 おいでよ 
 
 

快楽を求める病人たち

広島の女児殺人事件の容疑者が逮捕され、供述を始めたというニュースと共に、また新たな衝撃的なニュースが飛び込んできました。
今度は栃木で、小学生の女の子が行方不明になり、茨城で遺体が発見されました。
 
狂っている。
 
いったい、日本はどうなってしまうのか、何処へ行こうとしているのか・・・。
こういった事件の背後にある、根本的な原因はなんなのでしょうか?。
それとも、人間の本能にこのような残虐性が、そもそも存在するという事なのでしょうか?。
 
子供の頃、釣った魚を食べる時に、魚が気の毒に思えた。
私が釣らなければ、この魚も自由に水の中を泳いでいたろうに・・・。
すると、私に釣りを教えてくれた叔父貴がこう言いました。
「お前は魚屋で買った魚も食べないのか?。同じ事だ。元々人間というのは他の生命を犠牲にしなければ生きてゆけない、罪深い存在なのだ。魚を気の毒に思うのなら、この魚に感謝しろ。そしてこの魚を食べる権利を得た自分に、誇りを持て。そうすればこの魚は、お前の体の一部になり生き続ける事ができる。それが弱肉強食という、この世の中の原理原則なのだ。」
叔父貴は、私にそう教えてくれた。
 
世の中が、衣食住以外の”快楽”を売るようになって、どの位の時間が経つのだろう。
物が溢れ、当たり前のように生きる権利だけを得た人間が、次に浴する物はこの”快楽”しかなくなってしまいました。
ゲーム産業、パチンコ産業、風俗産業、そして新たに萌え産業・・・。
人間の欲望には留まる事がない。
架空の快楽では満たされなくなった人間は、やがてリアルな快楽に走っていく・・・。
私はこういった快楽の先に、このような事件が待っていると思ってしまうのです。
 
イメージで欲望を煽り、売り、更に苦肉の商品を増殖し続ける、無意味にして必然的なスパイラル。ある人がこれを”バビロン・システム”と名付けました。
資本主義の名の元、売れる物、お金になる物は全て良心だと煽るマスコミ・・・。
本当にこれでいいのか?という疑問は二の次になってしまっています。
 
そろそろ”NO”と言って見ませんか?。
私はこれ以上、こんなニュースを見るのは、、まっぴらなのです。
 
 
 

想像を創造する

きっこサマから突然のご指名をいただきました。
 
やってまいりました、バトン!。
 
今回は、イメージバトンだそうです。
 
それでは、張り切ってやってみましょう!。
 
Q1:頂いたお題
きっこさんから頂いたお題は、「自然にそうなってしまっていたこと」。
私はけっこう自然の成り行きに任せるほうです。
以外に思われる方もいらっしゃる事でしょうが、運命という大きな時の流れや、自然の摂理に対して、人が出来る事なんて限られているように思うのです。
勿論、”運命は自分で切り開く物で、身を任せる物ではない”という意見も素敵だと思います。
しかし、考えてみてください。私が生まれる前、何万もの精子の中で、私と言う名の精子が母体の白血球やライバルの精子に打ち勝ち、見事卵子と出会い受精して人間として生まれてきたのです。地球上に一体いくつの生命に種類があるのでしょうか?。その中で人間として生まれるのは、軌跡でしかないのです。
また、地球が誕生してどの位の時間が経過したのかは知りませんが、その中でいったい幾つの生命が生まれたのでしょうか?。
その中で同じ時間を、同じ人間として共有することなど、いったいどれほどの確率なのでしょうか?。そんな確率を乗り越えて出会ったり、こうしてネット上でお目にかかれたりする事など、まさに奇跡なのですよね。
そんな偶然ばかりで作られた人間に、いったいどれほどの選択肢が与えられているのでしょうか?。
我々はその”小さな選択肢”の中で、どれが最良なのかをチマチマと悩み、落ち込んでいるわけなんですね。
そう考えると、悩みなんて吹き飛ぶでしょう?!。
 
Q2:イメージしたお題
って事で私がイメージしたのは!
「自然」
です。自然というのは、美しさもあり、醜さや怖さもあると思うのです。
そんな所をバトンタッチしていただいた方に、語っていただきたいなと・・・。
 
Q3:バトンを渡してくれた人へ
きっこサマ。
私は、いつもココに来ていただいているD-DROPさんに、「人間観察が趣味?」と言われるほどなのですが、あなたに関してはめくるめく不可解でございます。
きっこさんの記事を見ていると、少女のようにはしゃいでいるかと思えば、めっちゃ大人の意見だったり文学的だったり・・・。
私にとって、ミステリアスな女性。でも、とっても魅力的だったりするのですよ!。
これからも美しいブログで、私達を楽しませてくださいね!。
 
Q4:次にバトンを渡す人
あおぢしサマ、魚釣りをたしなむお方として、やっていただけませんか?。
ちいこサマ、アメリカの大自然はいかがですか?
吉田淳也サマ、見ていていただけるのなら。しつこくお願いしてみたります。
 
う~ん、今回のもなかなか難しかったです。
考えてみると、私が結婚したのも、子供が出来たのも、今の仕事をしているのも、全て自然にそうなってしまったことなんですよね・・・。
これから先もどうなるのかわかりませんが、自分で決断する時は最善の選択をしたいものですね。
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