瞼の裏側にはいつも笑顔の神様がいる

4月, 2012 のアーカイブ

群衆

群衆/中島みゆき

群衆の中にいる自分が嫌いだ。

まるで集団心理に埋もれてしまっているようで・・・

自分がちっぽけに見えてしまう。

自分は紛れもない自分で、この中は自分の居場所じゃない。

流されたくはない・・・。

例え美しいモザイクを描けたとしても

訳もわからずに、流されたくはないんだ。

中島みゆき作詞、後藤次利作曲の作品。
アイドル時代の、あの木村某さんの奥様に送られた曲であります。
まぁ、今回はみゆきさんの歌を載せましたけどね。
しかし、アイドルが笑顔を振りまきながら歌う歌ではありませんねぇ。
歌詞の重みもヘッタクレもあったもんじゃない。。。
あ、木村某さんのファンの皆様、それと奥様のファンの皆様。
コレは私個人の見解ですので、気を悪くされたら申し訳ないです。

群衆の中にいたために得られた出会いがある。

出会えた喜び、悲しみ、あるいは苦しみ。

出会えなかった悲しみ、哀れみ・・・。

その中で私たちは出会えた。

その結末は、悲しいものだったけれど

それでもあの群衆の中で、私たちは出会えた。

お前に出会えた喜びにも悲しみにも、私は感謝したい。

ありがとう。

群衆の中で、私を見付けてくれて

ありがとう。

そして私は、100年も続かないドラマを

これからも歩んで行く。

想い

この季節になると思い出す。

妻は酷い花粉症を持っていて、とても辛そうだった。
いつも仕事から帰ると、洗面所に直行し
顔をぐしゃぐしゃと洗い出す。

ひ:ああ、もう顔を外して洗いたいわ。

彼女はいつもそう言って、顔を洗ったばかりなのに鼻をかむ。
寝る前は枕元のティッシュの残量チェック。
もう色気もヘッタクレも無く、鼻ティッシュのまま眠りにつき
夜中に苦しくなって取っては、鼻をかむ。

私はそんな事は全くないもので、見ていて気の毒になってしまう。

ひ:アンタも今になるわよ

という憎まれも、気の毒が優先し哀れに聞こえる。
そう言うわけで、我が家は外でお花見などしたことが無い。

ひ:花見?無理無理無理無理!

聞くだけヤボであった。

ふ、と考える。
人は死ぬと、身体と魂が離れてしまうわけだ。
という事はつまり、妻はもう花粉症の辛さからは解放されているんだよなぁ・・・。
通っていた歯医者にも行かなくていいし、便秘の辛さも味わう事は無いんだよな?

私も、死ぬと天国に行くとか、門の前で綺麗なお姉さんが立っていて選択を迫られるといった事は信じていない。
しかし、本当に死んでしまうと「無」になってしまうのだろうか?
人のような複雑な思考を持つ生物は、きっとどこかに魂とは言わないが、何か「想い」のようなものが残っているのではないだろうか?

私はまだ、死んだ事がないからわからないのだ。
しかし、ついさっきまで、隣で鼻ティッシュ突っ込んで寝ていた妻が
何でも言い合える、一番身近だったヤツが
それを体験してしまったんだなぁと思うと・・・何だか・・・

等と言う事を、最近夜になると考えてしまって、眠れない日々です。

ひまわりよ
君の「想い」はおそらく、息子に集中している事だと思う。
しかし、もしも少しでも俺の事が残っていたとしたら
たまには何か、ほんの些細な何かでいいから
伝えてはくれまいか?
そうしたらな、もう少し早く、俺は眠りに着けると思うんだ。