瞼の裏側にはいつも笑顔の神様がいる

それは突然の事でした。
仕事から帰ってくるや否や、彼女は私にこう言うのです。

「これからアンタのアタシへの愛を確かめます。」

はい?
と、杉下右京警部風に問う私招き猫。。。
何をするのかと思って見ていると、バッグから取り出したる一箱のアーモンドチョコ。

「アタシはやるわ、やってやるわっ!」

この人はいったい、何を決意したというのか・・・。
話を聞くと、どうやらこういう事らしいのです。
ひまわりの職場で、こういうのをやったという同僚の方がいたそうです。
それは、夫がアーモンドチョコのチョコレートの部分だけ舐めて、取り出したアーモンドを妻が食べられるか・・・。
また、その逆も夫はできるのか???

「くだらねぇ~~っ」

という私の反論をよそに、私の前には一粒のアーモンドチョコが置かれたのです。
と、その前にひまわりの私への問いかけ・・・。

「アンタ、虫歯は無いわよね」

「えっと、無いはずだが最近歯医者には行ってない・・・」

「何よそれ、行きなさいよ~」

「だって嫌いなんだもん。」

「そう言えば、アンタ今朝歯磨いたっけ?」

「磨いたよ!でも夜は磨いてないかも・・・」

「磨けよ!夜も~!」

「つーか、嫌ならしなけりゃええやん!」

「いーのよ、やるの!」

自分から言い出したのに、不機嫌であります。
ひまわりさんの指示通り、アーモンドチョコのチョコだけ舐めてアーモンドを吐き出します。
あぁ、アーモンドも食いたかった・・・。
私が吐き出したアーモンドを、意を決したように口に入れるひまわり・・・。
ぽりぽりぽり・・・
あーあ、食っちまった・・・。
そして次は、当たり前のように・・・

「はい、アンタの番。」

同じ様にひまわりの口から吐き出されたアーモンド。。。
しかたねーなぁ。
ぽりぽりぽり・・・

「よろしい、これで私たちも愛し合っているわ~♪」

おまえなぁ、こんな事しないと確認できないのか!
全く・・・女ってやつは・・・

幼稚園・・・その後

少し前に、幼稚園の行事で少し嫌な想いをしたって書きました。
その後、逆にいい想いをしましたので書かせていただきたいと思います。

シアターなる催しから2週間後。
キアヌ君の幼稚園のクラスで、お誕生日会が行われました。
キアヌの幼稚園では、年長さんになるとお誕生日の司会は先生ではなく園児で行います。
司会担当の4人のお友達で、しっかりと計画を立てて進行します。
実は2月のお誕生日会の司会は、キアヌだったのです。
前回の催しは、残念ながら見る事が出来なかった私。
今回は見逃さぬように、しっかりとムービーカメラを持って出掛けました。

私が園内に入ると、まだ少し時間が早かったようで園児たちは外で遊んでいました。
何故か園児には人気のある、キアヌ君パパです。

「あ!キアヌくんのぱぱ!いえ~い!」

と言って、見知らぬ子供たちがハイタッチをしてくるんです。
そのうち私に登り始める園児たち。
「やめろやめろ」と言いながら、すっかりと遊具と化した招き猫。。。

しばらくしてチャイムが鳴り、お外の遊び時間終了。
お誕生日会が始まります。

私は教室の前の廊下で始まるのを待っていました。
すると、今度は私と同じように見学をする園児のママさんたちの登場。
おなじみの井戸端会議が始まります。
と、その中の一人のおかあさんが、私を見つけて近寄ってくるのです。

「あの、キアヌ君のお父さんですね。」

「あ、は、はい・・・。」

そのおかあさんは、私に話しかけて来てくれたのです。
「シアターでキアヌ君がんばってましたね~」とそのおかあさん。
「実は私は見れなかったんですよ。。。」と私。
するとそのおかあさん。
とっても残念がってくれたんです。
実は、息子の演技はとっても良かったらしいのですね。
キアヌのクラスは年中さんから同じです。
ひまわりの事は、同じクラスのおかあさんはみんな知っていたんですね。
おかあさんの中には、「キアヌ君のお母さんに見せたかった・・・」と言って涙ぐむ方もいらしたとか・・・。

「あの、うちでシアターを録画していますので、よろしければ差し上げましょうか?」

うれしいじゃないですか!
見る事を諦めていた私にも、キアヌの名演を見る事が許されたのです!

「よ、よろしくお願いしますっ!」

そのお誕生日会から2日後、早速届いたDVDには立派なかぐや姫のおじいさん役のキアヌが躍動していました。
ひまわりも見ていてくれただろうか・・・。
君の息子の名演を・・・。

え?お誕生日会の司会ですか?
もちろん立派にこなしていましたよ!

贈り物

いつもとってもお世話になっております。
私の大切なお友達であります、ふくたんままさんからキアヌ君へバレンタインのお菓子を頂きました。
ままさん、本当にありがとうございます。

さて、どんなお菓子を贈って下さったのでしょうか?

おぉ!苺スヰートプリン!
これは美味しそうではありませんか!
キアヌ君、速攻で食べ始めます。
何と言っても、ビニールハウスのイチゴ狩り30分で128個という記録保持者、ひまわりさんの息子です。
(参照記事 いちご畑のひまわり)
彼にとっては大好きなアイテムですねぇ。

必死に食べるキアヌの写真をどうぞ。。。

おとしゃん、たべる?など、言ってくれそうにありませんな・・・。

さて、キアヌ君にバレンタインと聞いていたのですが・・・
なにやらもうひとつ箱があります。
こ、これはもしや!
私にもバレンタインを頂けた様であります!

夜のお菓子「うなぎパイ」って、ご存知ですよね?
静岡県が誇る銘菓であります。
私はアレが大好きなんですよね~。
その姉妹品、というかグレードアップした商品があるらしいのです。
その名も・・・

真夜中のお菓子「うなぎパイV.S.O.P.」

うぁ~夢にまで観たお菓子であります。
V.O.ではなく、最上級を意味するV.S.O.P.ですよ!ハイ。
V.S.O.P.の名の由来は、ブランデーが入っていると言う。

おぉ!楽しみであります。

早速開けてみましょう。。。

なるほど、お子様でも安心して召し上がれるそうです。
中はどうなっているのでしょうか!
緊張しながら開封。。。

まぁ、従来品と見た目は変わりありませんね。

それでは一口食べてみましょう!
サクッとした口当たりまでは、まさに従来品の楽しい食感。
しかし、鼻から抜ける香りは!ほのかなブランデーの香り!

おいしい。。。

これに合う飲み物と言えば、そう、ドライマティーニなどはいかがでしょうか?
甘さの後に広がるブランデーのほのかな香り。
それに負けない、ガツンとしたアルコールの感覚を持ったマティーニ。。。
う~ん、大人じゃ~ん。

まさに、真夜中に味わう大人の味。

ままさん、素敵なお菓子をお送りいただき、ありがとうございました!
息子と一緒に楽しくいただきましたよ!

前方よし!

後方よし!

鉄道には全く興味の無い私招き猫が、鉄道ファンの愛息子のために引きずりまわされる鉄道ロマンの旅。

列車情報は息子に全てお任せのまま・・・

きあぬの鉄道!出発進行! 

今回私たちが乗車してまいりましたのは、もうすでに引退し公園の遊具と化してしまった車両。
東武鉄道のデラックスロマンスカーきぬです。
1960年から1991年まで、浅草から日光鬼怒川を結ぶ特急列車。
1720系を要したデラックスロマンスカーきぬは、1990年に現行の100系スペーシアの運行が開始されるまでその豪華な内装を誇り、東武鉄道のエースの座を張っていました。
その中の1726号車が、とある公園に保存されています。
今回は、当時の豪華列車をきあぬと一緒に覗いてみる事にいたします。

今年の初め、きあぬとひまわりのお墓参りに行って参りました。
お墓は埼玉県の鴻巣市。
私たちの住む千葉県流山市から、クルマでたっぷり2時間ほどかかる場所であります。
まぁ、高速を使えば1時間とちょっとで行けるのですが、ケチの私たちは下道で。
最近は下道もだいぶ裏道を開発し、1時間半ほどで行ける様になったのです。

そのいつもお墓参りの時に通る裏道に、とある公園があります。
きあぬはそこを通る度に、いつも気になっていたようでした。
その公園とは、岩槻城址公園。
春にはさくら祭りも開催される、緑と水のある綺麗な公園です。

初めて公園の前と通った時、公園の駐車場の横にたたずむ巨大なものをきあぬは見逃しはしませんでした。
「おと~しゃん!あれなんでしょう?」
少し徐行してみると、肌色と赤のツートンカラーの列車。
正面のエンブレムには「きぬ」の文字。
その時は時間も無く「また今度行こう」といって通り過ぎるだけでした。
さて、今回はお墓参りの帰り道、ちゃんと寄って見て行こうと言う事になったのです。

さて、公園に到着。
展示されている車両は、駐車場のすぐ横。
クルマを降りるきあぬは、まるでリードを外され放牧された飼い犬のように、ヘラヘラしながら走って行こうとするのです。
「こら!クルマに注意して歩いて行きなさい!」
そこはホレ、私も一応父親なもんで・・・。

もうだいぶ車体は汚れてしまっていますが、迫力のフロントマスクの前でパシャッ。

幸運な事に、毎週土日の午後3時まで、車内を公開していると言うのです!
勿論料金は無料。
早速中へ入ってみる事にいたします。

と、その前にきあぬ君、車両点検です。
ぶれーきしりんだーよーし
こんぷれっさーよーし
って・・・いったいどこでそんな事教わるんでしょうねぇ・・・。

はい、いよいよ運転席。
もにたーよーし(モニターなんて無いよ、きあぬ・・・)
どあよーし
もくしよーし
しゅっぱつします!
しゅっぱつしんこう~!

気分はすっかり、特急列車の運転手さんです。
本物の車両の運転席なんて、滅多に乗る事は出来ませんからね。



車内で知り合った鉄道ファンのお友達と、パシャッ。
ばいばいとっきゅうきぬ
またあそびにくるからね~!

車内は冷暖房完備。
公開されている間は、夏は涼しく冬暖かい考慮をしてくださっているようです。
内部はさすが、デラックスロマンスカーと呼ばれるだけあって、今見てもなかなかの造りでした。
客席のゆったりとしたクロスシートにも、実際に座る事もできます。
鉄道好きの方には、結構楽しめる公園かと思います。
勿論、公園内はその他の遊具も盛りだくさん。
テニスコートなども借りる事ができるようですよ。
暖かくなりましたら、ゆっくりと散歩気分でいかがでしょうか?

さて、今回の「きあぬの鉄道」いかがでしたでしょうか?
引退してしまってから、もう20年近く経とうとしている1720系デラックスロマンスカーきぬ。
当時としては世界的な観光地である日光に、海外からの観光客を運ぶデラックスな車両として運用されていたのでしょう。
こうして既に現役を終えてしまった車両を見ると、いつも思う事があります。
僅かに与えられた短い線路の上で、この車両たちは何を想うのでしょうか?
誇りを持って走っていた現役時代を、思い出しているのでしょうか?
私は思います。
こうして子供たちを相手に自らの形を残す事は、それはそれで猛然と走っていた頃と同じ様に立派な姿なのではないかと・・・。
事実、息子のきあぬはこの車両に夢やロマンを見せていただきました。
1726号車、特急きぬ。
ありがとう、また会いに来ます。。。

当列車は、間もなく終着駅に到着いたします。
当列車がご案内いたしました、車窓風景、鉄道ロマンなどのお忘れ物はございませんでしょうか?
本日は当列車にご乗車くださまして、まことにありがとうございました。

幼稚園の事情

2月7日、キアヌが通う幼稚園でシアターなる催しが行われました。
まぁ、学校で言う所の学芸会のような、各学年が劇や歌やダンスなどを披露するイベントです。

我キアヌ君の学年は、かぐや姫を演じるとの事。
そしてキアヌの役どころはというと、かぐや姫のおじいさん役なのであります。
かぐや姫のおじいさんと言えば、準主役ではありませんか!
まぁ、主役のかぐや姫に至っては、身体検査の段階で落選は決まっております。
男の子であるキアヌにとっては、ほぼ主役と言っていい役どころであります。

当日は東京から義母(ひまわりの母)も呼び、万全の体制。
私たちに見せるため、稽古も完璧というキアヌ。
しかしながら、直前になってどうしてもその日出なければならない仕事が、私に降りかかってきたのです。
仕方なく、当日の朝9時までというお約束でお仕事をこなし、なんとかクリアした訳です。

イベントは、9時40分開園。
9時に仕事を終らせた私は、9時10分ごろ家を出発。
義母とばあちゃん、そしてキアヌ君を車に乗せて家を出たのです。
幼稚園に到着すると、幼稚園前の駐車場はいっぱい。
私以外は園の前で下車させます。
私は仕方なく、少し離れた幼稚園の来客用の駐車場へ向かうと、なんとそこもクルマで溢れていたのです。
再び仕方なく、園からかなり離れたコンビニに事情を話し、多少の買い物をしてお昼過ぎまで駐車を依頼します。
快く引き受けてくださったコンビニの店長さん。

さて、そこから15分あまり徒歩で幼稚園に向かいます。
私が幼稚園に到着すると、そこには長蛇の列形成されていたのです。
私はその最後方に並び、ばあちゃんに電話をします。
義母とばあちゃんは、なんとか席は確保したとの事。
しかし、私の分は確保できなかったようです。
何とか確保した2人も、並んで確保したわけではなく、離れ離れのようでした。

数分後、私は何とか場内に入れましたが、見る場所はほとんど無い状態。
園の関係者は、私よりも後から来た子供連れを優先して案内しています。
え?私が先だろ!
良く考えてみると、小さな子供連れは幼稚園にとって大切なゲストなんですね。
下の子もなんとかその幼稚園に入って欲しいわけですから。

仕方なく、席と席との間の通路を通って、先に席を確保した2人のところに向かいます。
「通路に座っちゃえば?」
と言う義母の提案にも、私はそれほど図々しく無いといって却下する。
しかしながら、そういった通路にも後から来た来客を案内係は座らせてゆくのです。
私に気を使う案内係は、ただの一人も居りませんでした。

夫婦で力を合わせ、最高の席を確保した家族の笑顔。
シングルになった私に、誰一人として気を使ってくれる者はいませんでした。
「帰る」
終ったら電話をするようにと席を確保した2人に伝え、準主役の父は園から放り出されたのでした。

家に帰り、仏壇で微笑むひまわりと話をします。
「下の子はあの幼稚園はやめような。」
存在するはずも無い、ましてこれから作る事もできない「下の子」。
息子の名演を見る事が出来なかった父親の、惨めな負け惜しみ。
手に持っていたハンディカムを、そそくさと押入れに仕舞い込む招き猫でした。

2CVが欲しい・後編

さて、まるで呪文のような事を呟きながら、一台のシトロエン2CVの前から動けなくなってしまったひまわりさん。
しかしながら、彼女が動けなくなってしまったのも十分頷けるのです。
その2CVは、それはもうピッカピカの新車のようでした。
もう正確な数字は忘れてしまいましたが、走行キロ数もそれほどではなく、年式もほぼ最終型だったと記憶しております。
ちなみに生産は1988年まで行われていました。
1988年と言えば・・・私たちが出会った年ではありませんか!
カラーは(」゜ロ゜)」 ナント、クラリスが乗って逃げたチャールストンカラーと呼ばれる、小豆色と黒のツートン。
事故暦は絶対にないという保証付で、保存はガレージでワンオーナーが大切に保存していたという。
まさに、これ以上のものにお目にかかれるのは恐らくは最初で最後であろう事は、私にもそしてひまわりにも容易に想像できる個体だったわけです。

ようやく私が隣に居る事に気が付くひまわり。
女性がものをねだる時の目って、ありますでしょう?
うるうるとした、あの目。
その時のひまわりの目は、まさにその物欲しそうな目だったわけです。
その当時、すでにユーノスロードスターとミニカトッポの2台体制だった我が家。
3台は無理だよなぁ・・・。

「大丈夫、税金とか保険料とかの必要経費は私が出すから!」
と、ひまわり。

そして整備はどうするのかという問題。
買った所でやっていただければいいのですが・・・

「そんなん板金屋の友達に頼んでよ。」

「このクルマは無理だろ、彼でも・・・。」

「そんじゃあアンタがやれば!」

「オレが1級整備士でも無理だな。」

そして何よりも、お金が無い。
ローンは扱っているのでしょうか?

「はい、ローンも取り扱っていますよ。しかしですね~・・・」

おっと、いきなり出てきたお店の社長さん。
曰く・・・
たった今商談成立してしまったとの事・・・。
あーあ。
しかしあきらめきれないひまわり。
どうしてもコレが欲しいと、お店の社長におねだりし続けます。
すると、買った人に交渉してくれると言う社長さん。
交渉の結果はお電話を下さるというので、私の名詞を置いて帰ることになりました。
帰り際・・・もう一度顔を見てくるとさっきの2CVの所へ行くひまわり・・・。
余程気に入ったのでしょう。

さて、その日の夜、時計が19時を回ろうとした頃。
運命の電話が鳴ります。

「やはりどうしても無理だそうです。もしよろしければ同じ様な状態の2CVが見つかりましたら、ご連絡をしましょうか?」

「いえ、今回はあきらめます。色々ありがとうございました。」

失望するひまわり。
もう、食事をしながらどよ~んとしています。
きっとあの2CVで、すでにどこかへ出掛けていたのでしょう・・・妄想で。

ひまわり、あの時は残念だったなぁ。
夢はこんなに早く叶えたらつまんないよって、確かあの時言ったように覚えてる。
でも、君は叶えたかったんだよな。
今から思えばなぁひまわり・・・

シトロエン2CVは天国に一番近いクルマのような気がするよ。


ひまわりが夢見たのと同タイプのクルマ。
シトロエン2CV6チャールストン

2CVが欲しい・前編

若い頃からクルマが好きだった私。
ひまわりも私と結婚してから、次第にクルマに興味を持ち出します。
早く走るクルマ、おしゃれなクルマ、エクステリアデザインのいいクルマ、走る喜びを与えてくれるクルマ・・・。
中でも、ひまわりが好きだったクルマの中に、もうこのクルマを走らせる事だけで喜びを感じてしまうようなクルマがあったのです。
今回は、ひまわりがその車の実車と出会い、彼女らしい行動をとってしまったひまわりの武勇伝です。

ある日、東京ビッグサイトという場所で、ヒストリックカーフェア(確かそんなタイトルだったと思います)という催しが開催されました。
一昔前のちょっと古い、そして非常に趣きのあるクルマを展示して、即売会もやってしまおうという催し。
即売会・・・この言葉がちょっと引っかかりますね~。

会場に着くと、駐車場にはやはりひとクセありそうな車たちが並んでいます。
さすが、こういう催しに来る人々は違いますね~。
私たちの2シーターオープンも、幌を下ろして駐車します。

会場に入ると、おぉ!おぉ!凄いではないですか!
スーパーカーブームを過ごした私には、まるで当時のブラウン管の中にいるようです。
一連の美しいイタリアンスポーツたち。
そして、英国のバックヤードビルダーの手作り感のあるクルマ。
そして我が国が誇るハコスカGT-Rが!トヨタ2000GTが!ホンダS600が!
こうなると、世界一の技術を誇るドイツ車が、何の魅力もない無機質な鉄の塊に見えてまいります。

さて、会場の半分くらいの所に参りますと、今度は街中でも見る事が出来るクルマたちが並んでいます。
ミニばかり集めた即売会場や、私があこがれるケイタハムのコーナーもありました。

「おぉ!ケイタハムスーパー7だ!ええなぁ・・・」

と振り返ると、ひまわりは居ませんでした。
どこへ行っちまったのかなぁと、来た道を引き返すと、一台のクルマの前から動けなくなっていたひまわりを発見。
独り言のように何かをブツブツ呟いています。

「コレ・・・ほすい♡」

彼女の前に飾ってあるクルマとは・・・

シトロエン2CV

ご存知でしょうか?
一番わかりやすい言い方をさせていただくと「ルパン三世・カリオストロの城」で、最初にクラリスが花嫁衣裳で運転して逃げていた車がそうです。
1948年にフランスでデビューした2CVのその個性的なデザインは、あまりにも突飛だったために物笑いの種だったとか。
なんでもあまりの醜さのため、せっかく買ったフランス人がスコップで叩いたとか・・・。
しかし、そんなデザインは実は非常に合理的であり、ユーザーに優しいデザインなのです。
殺風景な室内からは、クルマの四方が良く見渡せる。
後部座席は取り外しが容易で、取り外せば荷物を積むことも出来るし、シート自体をアウトドアで使用する事も出来ます。
シフトレバーはステアリングの奥から生えていて、片手でもスマートに運転できる。
高い屋根のトップには、キャンバストップが用意され、開けば爽快なオープントップとなります。
そして異様に大きなフェンダーから、これまたオートバイのような異様に細いタイヤが顔を出しています。
きっと当時は小粋なパリっ子が、石畳の上を片手運転で颯爽とこんなクルマで走っていたのでしょう。
ひまわりが愛したクルマは、こんなクルマだったのです。

さて、私たちとこのクルマとの出会いの行方は?
長くなりましたので、後半へつづく・・・

昨年の終わりごろ、モータースポーツ界、とりわけF-1界に衝撃が走りました。
ホンダチームF-1撤退。

やはり昨年の夏に純日本人プライベーターチームである、スーパーアグリの撤退の記事を書いた時にも触れました。
F-1には途方も無いお金がかかるという事を。
下請け会社にコストダウンを迫り、派遣切りなどのリストラを敢行。
本社がそんな状況の中で、F-1などやっていられない。
そういった事情は痛いほど良くわかるのです。

ホンダという会社でまず思い浮かべるのは、創始者である本田宗一郎氏でしょう。
彼は確固たるいくつかの信念を持って、会社を運営していたといいます。
血縁者を後継としない。
会社のトップにはエンジニア出身である事が条件。
TVCMにはタレントは使わない。
かつては自らの身分を隠し、自慢のホンダスーパーカブを乗り回し、若者相手に語っていたそうです。

「こういうのが理想的な4気筒エンジンなんだ。君たちもこういうクルマに乗らなきゃいかん。」

「こんなクルマが売っていたら、君たちならば買うか?」

そんな市場調査を自ら行っていたのでしょう。
私が免許を取った頃のホンダ車。
プレリュード ワンダーシビック クイントインテグラ バラードCR-X
そんなスポーティーでおしゃれなホンダ達。
そして深夜に放送されていたF-1中継。
今思えば、メーカー側がユーザーを育てていた・・・そんな気さえするのです。
今はと言えば、夢も希望も無いワゴンタイプのクルマのオンパレード。
ニーズにばかり気を取られ、内燃機関を使って走らせるクルマの素晴らしさを伝えようともしない。
ニッサンS13シルビア トヨタセリカXX いすゞジェミニイルムシャーターボ マツダRX-7 三菱ランサーターボ
そんなスポーティーなクルマを自慢気に乗っている若者たちって、最近見かけませんね・・・。

今朝、こんなニュースを目にしました。
「F1世界選手権から撤退し、売却先を探しているホンダF1チームが、拠点のある英国で、政府による公的資金注入の申請をする可能性が29日、浮上した。」
モータースポーツに育ててもらったホンダが、モータースポーツを切り捨てる。
かつてのホンダは「技研」でした。
挑戦する事をやめてしまった「技研」は、モータースポーツと共に私のような化石化した自動車ファンをも切り捨ててしまうのでしょう。
宗一郎氏が草葉の陰で泣いているようで、何だか辛いです。

いんふる民ちゃん

先週の金曜日の夜。
キアヌ君が発熱しまして、夜ですが病院に連れて行きました。
微熱だし元気だしメシは食ってるし、ただの風邪だろーと思いきや。
検査の結果インフル某、陽性でした。
土曜日曜にかけて、ずっと一緒に居てやりましたよ。
私が部屋を出ると泣き出すもんで・・・。
もうすぐ小学生なのですが、こんな弱虫でいいのでしょうか?

今日の朝、熱も下がりすっかり元気になった息子キアヌ。
しかしながら、おかげさまでそのまんまインフル某ウィルスの皆さんは、キアヌと一緒に過ごした私に完全移住。
身体はゾクゾク、頭痛、喉が痛い、背中がかゆい、屁が出る、などの症状に悩まされております。
恐らくは今夜がヤマかと思われます。
返米、遅くなりまして申し訳ございやせん。
明日、生きていたらお返事いたします。
それではおやすみなさ~い。。。

はじめてのほうとう

私たちが結婚してすぐの頃。
お互いに富士山好きという事で、お決まりのドライブコースである富士五湖方面に行った時のお話。

山中湖の湖畔で、私たちは自慢のオープンカーを走らせていた秋の日。
標高が高いとあって、もう気温もかなり低くなっているにもかかわらず、幌を下ろしてオープン走行。
皮のハーフコートに身を包み、サングラスをかけ、オープンカーの怪しいカップル。
格好を付けているわりには、低い気温のせいでお互い真っ赤な鼻でやせ我慢しております。
若き日の招き猫夫婦であります。

「寒いから、何か温かいものでも食おうか。」

と私が提案。
その提案に、ひまわりは即座に食いつくのであります。

「あ、それなら一度食べてみたかったのがあるんだ!」

ひまわりが食べてみたかった料理とは、山梨県の郷土料理であるほうとう。
ご存じない方のためにご説明いたしましょう。
平らで太めに切ったほうとうと呼ばれるうどんを、味噌仕立てのスープでたくさんの野菜と豚や鴨といった獣肉と一緒に煮込みます。
家庭では鍋料理のように、大きな鍋で作って家族でつついたりもしますが、お店などで注文をすると一人前の鍋で出てきたりもいたします。
名古屋の味噌煮込みうどんとは、うどんの形状がまず違います。
味噌煮込みうどんのように煮込んでもコシを失わないしっかりとしたうどんではなく、煮込んでしまったらまるですいとん状になってしまうのがほうとうです。
味噌も赤味噌主体の名古屋風ではなく、白味噌主体の関東風なのでしょうか。
そして何あがあっても譲れないほうとうの条件は、野菜の具の中に必ず絶対に何が何でもかぼちゃを入れる事。
かぼちゃが入っていないものは、ほうとうと呼ぶ事は出来ません。
極端に言えば、ほうとうの麺を入れ忘れても、かぼちゃだけは忘れてはいけません。

さて、お話を元に戻しましょう。
ひまわりはほうとうの本場山梨県で、一度ほうとうを食べてみたかったという願望を叶えたいと主張します。
ひまわりとの楽しいドライブですから、心の方は暖かな私でしたが、オープンカーでのドライブという条件ゆえ身体の方はいささか冷えてまいりました。
そんな冷えた身体に温かなほうとうでありますから、私に彼女の意向を拒否する条件は何一つございません。
ノー文句で受け入れる結果となりました。

それでは早速お店を見付けよう!と言うのが先か、さすがここは山梨県。
すぐにほうとうを目玉にしているお店発見。
高々とほうとうの文字が書かれた幟が立っております。

お店に入ってワクワク状態のひまわり。
そして待ちに待った山梨の郷土料理、ほうとうが私たちの前に運ばれて来ます。
やった~うまそう~♪
とふたを取る私たち。
しかし、ふたを取った瞬間、固まるひまわり。

「どったの?」

「かぼちゃだ・・・」

それがどーしたと言う私を前に、ひまわりの破滅の言葉。

「アタシ、かぼちゃ嫌いなの。」

あのなぁ、ひまわりさん。
かぼちゃが入らないほうとうは・・・
そんなゴタクは耳に入る事も無く、ただがっかりするひまわり。
「わーた。かぼちゃはこの私が引き受けよう。」
という私の言葉に、遠慮なく私の鍋にありったけのかぼちゃを放り込みます。
余程かぼちゃが嫌いなのでしょう。
小指の先ほどのかぼちゃのかけらまで、私の鍋に入れるひまわり。

さぁ、かぼちゃ抜きのほうとうを召し上がれ。
温かくて、素朴で、初めてなのに何故か懐かしい・・・
ひまわりはそう言って舌鼓を打っておりました。

すっかり味を占めたひまわりさん。
みやげ店でほうとうの麺を発見。
家でも作ろうという事で購入。
はい、家でも作りましたとも。
もちろんかぼちゃは・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・どっさり入れます。
ひまわりはそれでも、かぼちゃを避けて食べてくれました。
その後、ちょくちょく家でほうとうを作る様になった私たち。
ひまわり曰く・・・

「ほうとうにはかぼちゃを入れなきゃね!」

食べないけれど、入れなくてはいけないそうです。
翌日になるとほうとうのかぼちゃはスープに溶けてしまい、スープはすっかりかぼちゃ色になってしまいます。
そのかぼちゃ色のスープを美味しそうに飲むのは、なんとひまわり。
「かぼちゃは嫌いだけど、かぼちゃが溶けたこのスープがうまいんだなぁ・・・」
って・・・ほんとかよ。