瞼の裏側にはいつも笑顔の神様がいる

出血再び・・・

入院前、ひまわりの後頭部というか後ろの首筋には、おできのようなものが出来ていたんです。
入院してからそこが段々大きくなっていたんですね。
多分それは、病気とは無関係のものだと・・・彼女自身ずっと思っていました。

先日、そこから出血したんです。
おできの先端部が破れ、結構な出血となりました。
外科の医師によって、その破れた部分を縫ってもらいました。
これでもう安心だね!と私。

今日、担当医と会う機会がありました。
話しを聞くと、実はそのおできも癌だったという事でした。

担当医の話
昨日と今日では、別に状態は変わらないと思うかも知れませんが、一週間単位で見れば少しづつ悪化しているように思われます。
現在は、出てしまった症状に対処しているだけの状況です。
病気に対しての治療はしておりません。
現在の奥様の体力では、病気に対しての治療は困難でしょう。
体力の回復も、恐らくは望めないと思われます。
私達は、ここへ転院してきた時に、既に数日の時間しかないと思っていました。
あれから3週間も、奥様は良く頑張っていらっしゃると思います。
それは、奥様の生きたいと思う力だと言うより他ありません。
ご主人がお見えの時は、かなり安心されているようです。
出来る限り、生活に負担の無い限り、来ていただけるのがいいと思います。

7月の3日にも、殆んど同じ内容の話を聞いているのに・・・
やはりちょっと落ち込みますねぇ。
まだ何が起こるかわからない。
前向きに行きましょう。
そう言い聞かせてきた3週間。
食事をした事も、蛇の夢も、厳しい現実に対しての私達への、ほんの小さな慰めだったのでしょうか?。

自分が出来る事を、再び考えてみよう。
明日も病院へ行くんだ。

最近聞いた話

担当の看護師さんと、少し話しをする機会がありました。
看護師さんによると・・・

ひまわりさん、ここに運ばれてきた時はかなり危なかったんですよ。

ヘモグロビン(血液中の酸素を運ぶ役割の赤い部分。)が通常の30%しかなかったんです。

その状態では、殆んどの人は意識が無い状態でした。

そして、もし意識が無くなっていたらもっと危険な状態になっていました。

ひまわりさんってすごいと思いましたよ!。

看護師さんがそう言うのですから、きっとそうなのでしょう。

我が妻ながら、頭が下がる思いです。

 

しかしそれを考えると、その前日の意識が混濁した時は、いったいどんな状態だったのか・・・。

考えただけでも恐ろしくなります。

その時ひまわりが取った行動は、大切な人の顔を思い出していたこと。

息子の顔と私の顔だと言っていますが、私の顔は恐らく出演回数としては少なかったと思います(笑)。

それと、手でグーパー運動をしていた事。

これは彼女の知識にあった事なのでしょう。

その運動によって、手をポンプのように使い、血液の巡りを少しでも良くしようとしたのでしょう。

私では考えも付きません・・・。

そういった看護師としての知識が、彼女を最悪の事態から救ったのかも知れません。

何しろ、その時のその状態でもかなり危険な状態でしかたら、意識を失っていたら更に生還率は下がったのでしょう。

 

私は思うのです。

やはりひまわりは何かに守られているのかも知れない・・・。

先日の白蛇の夢の話も、あながち笑い話ではないかも知れませんしね。

最近仲良くさせていただいている、やはりひまわりと同じ「がんサバイバー」であるクランベリーさんのブログで、こんな言葉を見つけました。

 

「癌は愛情に弱い」

素晴らしい言葉だと思いませんか?。

 

近況。

ひまわりのベッドの位置が変わりました。

前までは6人部屋の真ん中の狭い位置だったのです。

しかし、窓際の少し広い場所の方が退院した為、その場所がひまわりに与えられました。

少し広くなり、晴れれば太陽の光も見る事が出来る様になりました。

太陽が見れるようになって、いよいよ本当のひまわりの季節がやって来ます!。

病院食

先日、お腹に溜まっている水分、つまり肝臓から出血した血液やなどをドレンで抜いてもらう処置をしてもらいました。
出た量は、約1リットル。
あまり一度に多く抜くと、貧血になったり血液の電解質のバランスが崩れたり、いろいろあるらしいのです。
と言う訳で、今回は1リットル。
1リットルの水を抜くという事は、一気に体重が1キロ減るわけですね。
まぁ、4時間ほどかけて、ゆっくりと抜いたわけですけど・・・。

結果、ひまわりのお腹の張りは、少々楽になったのです。
楽になった結果は、空腹感と言う形で出て来ます。
「腹減った~」というひまわりの口から久しぶりに出た言葉・・・。
夕方6時に、待ちに待った病院食登場。
今夜のメニューは

厚揚げの野菜あんかけ
なめこおろし
ほうれん草の澄まし汁
ユカリかけ粥
フルーツゼリー
牛乳

ひまわりはこれらを少しづつ食べ、一通り口にして「美味しかった~」と言っていました。
残り物を私が味見をしてみると・・・
どれもこれも味が薄いものばかりです。
そんなものでも、ひまわりは「おいしい」と言って食べてました。
味には結構うるさい人だったのに・・・。
しかし、食べ物を口にしてくれるようになってから、顔色がよくなって来た様な気がします。

さて、いい報告の後にはちょっと悪い報告を・・・。
痛み止めとして使用しているモルヒネを、ちょっと増やしたという事です。
一度痛みが出てしまったため、それ以来少しだけ増やしたらしいです。
そしてもう一つ。
吐き気があるという事です。
寝ている時に突然むくっと起きだして、ティッシュを口に当てゲーゲーやっています。
出るものは唾液のような物だけらしいですけど、苦しそうで見てられません。

担当医は相変わらず「落ち着いています」しか言ってくれません。
まぁ、落ち着いてさえいてくれれば・・・。
私達の目標は、ただ一つ。
例え一時的にでも退院する事。
それからの事は、その時になってから考えたいです。

白ヘビ

先日、いとこ夫婦がお見舞いに来てくれました。
カミさんの大好きなお菓子を持って。
スコーンというお菓子をご存知でしょうか?。
まぁ、某大手のフライドチキンをメインにしているファーストフードのメニューにある「ビスケット」に似ているお菓子です。
私の従弟は、私に負けず料理が得意なんですね~。
スコーンも彼の手作りでした。

カミさんはこのスコーンを半分食べて、美味しいと言って笑っていました。
良くなったら、また作って来ます・・・従弟も嬉しそうにそう言っていました。

この日は気分が良かったのか、いつもよりもたくさん話しました。
カミさんは、昨夜見た夢の話しをしてくれました。
なんと、夢の中に白ヘビが出てきたんですって!。
そしてそのヘビは、頭をもたげて威嚇してきた。
カミさんはヘビが大嫌いなもので、逃げ回った・・・。

それを聞いた従弟の奥さん。
なにやら考え込んでいました。

「あの、私こういうの詳しいねんけど・・・」

奥さんは関西の出身なんです。

「白ヘビはとっても縁起がいいねんけど、威嚇され言うのが気になります。それとひまわり姉さんが逃げてしまった事が。」

すると従弟が口を挟みます。

「俺が知っているのは、白ヘビは神の使いで死神が唯一畏怖する存在だよ。ひまわり姉さんが逃げるのは当然。それほどの存在なんだからね。」

再び奥さん。

「そうか!なら威嚇してきたのも納得できる。白ヘビは姉さんを威嚇したんじゃなくて、姉さんの中に巣食う病気を威嚇したんやわ!」

なんだかスゴイお話になってまいりました。
いずれにしても、すごいどえらい者がカミさんの夢に出てきてくれたようです。
従弟夫婦は、元気そうで安心したと言って帰って行きました。
みんなが私たちに元気と勇気をくださいます。

希望の行方

先日、カミさんの仲の良い友達がお見舞いに来てくださいました。
その方は元カミさんの同僚の方で、一番の仲良しな方でした。
実はその方も重い病気を患っていて、現在は休職中なのです。
同じ看護師であり、病気で休職中、しかも年齢も近いし、お子様の年齢も近いとあって良くメールなどでやり取りをしていたようです。

そう言う訳で、その方を私が車で病院までご案内をいたしました。
久しぶりの再会とあって、彼女達は楽しそうにおしゃべりを楽しんでいました。
その方との弾む会話の中に、飛び切りの笑顔がはじけていました。
私もとっても嬉しかったな。
会話には入れなかったけど・・・。

その帰り、当然その方のご自宅までお送りをさせていただきました。
なかなか気さくな方で、私もその方との会話を楽しませていただきました。
昔の私の病気のお話や、ご自身の病気のお話。
お互いの家族のお話、良くなったら遊びに行きましょうね!といった約束も・・・。
そういった会話の中で、カミさんの病気のお話もさせていただきました。
その方も医療従事者でありましたので、病気の事はほとんど知っていました。
その中で、私は希望の光を見出したのです。

医療に携わっている方にカミさんの病気のお話をさせていただくと、殆んどが無口になり、そして最悪の結果について語られます。
しかしその方は違ったのです。

私、ひまわりさんは退院出きると思うんです。
今持っている病気は、きっと良くならないけど、悪くもならないような気がします。
そして、症状も少なくなって、いつか検査をしたらとっても小さくなっていて・・・。
ひまわりさんは、この病気とうまい具合に付き合って行けるって思うんですよ。
今は辛いでしょうけど、あんなに皆に愛されていて、悪口を言う人なんか居ない様な、そして患者さんにも優しい彼女が、こんな病気になんて負けないって思います。

こんな事を言っていただき、私はもう大変でしたよ。
涙をこらえるのに・・・。
この方の発言により、何となく・・・光が見える方向がわかった様な気がしました。
今は真っ暗闇ですが、どっちの方向から希望の光が差して来るのか・・・。
私たちの、希望の光の行方が、今見えてきたような気がするのです。

息子

私は今の状況を、息子にどう話せばいいか悩んでいました。
先日、ある友達に相談したんです。
その人は「私ならこう言う」と答えてくれました。
なかなかいい言葉だったし、言うのも聞くのも困難ではなかったんですね。
私はある日、病院に向かう車の中で、彼にこう言いました。
その人の言葉を、自分なりにアレンジして・・・
 
いいか?キアヌ。
今、君のお母さんはとっても頑張っているんだよ。
何故頑張っているかって言うとな、それはお母さん自身のためでもあるけれど、君やお父さんのためでもあるんだ。
どのくらい頑張っているかって言うとな、きっとお母さんの一生で一番頑張っているんだ。
君を産んだ時も頑張ったけどな、もしかするとそれ以上に今は頑張っている。
いいか?キアヌ。
今のお母さんの姿を、よく見ておけ。
お母さんの顔を、頑張っている顔を、よく見ておけ。
お母さんにたくさん触ってやれ。
君がお母さんを応援している事を、大好きなお母さんに伝えるんだ。
そしてな、そのお母さんの頑張っている姿を、よく覚えておけ。
いつまでも忘れるんじゃないぞ。
いいか?キアヌ。
お母さんは必ず元気になる。
元気になったお母さんに、言ってやるんだぞ。
お母さん、頑張ったねって。
ボクちゃんと見てたから、お母さんが頑張った事知ってるよって。
お母さんにな、そう言ってやるためにもな、今の頑張っているお母さんを、よく見ておけ。
よく覚えておけ。
わかったな?。
 
息子は黙って聞いていたけど、うなずいてくれました。
息子には、ちょっと可哀想だったかも知れません。
幼いながら、何かを感じ取ったのかも知れないと思いました。
そして、もしこの先に何があっても、彼なら大丈夫だって思いました。
 
昨夜、私が病院にいる間、彼はおばあちゃんとお風呂に入ったそうです。
彼は初めて、お風呂から上ったあと、たった一人で下着とパジャマを着たそうです。
こんなにも強い子が、本当に私の子なんだろうか・・・。
息子には、いつも驚かされます・・・。
 
 
 
 
曲は、中島みゆき 「二艘の舟」
昨年に病気が発覚して、余命を宣告されたとき、私はこの曲を聴いて泣いていました。
その時、一人の人が私を励ましてくれた事を、懐かしく思い出しました・・・。
 
そして写真は、ある方から頂きました。
暗い夜が明けて、一筋の光がさして来た所。
希望の光になればいいねって、言ってくださいました。
皆さん、どうもありがとうございます。
皆さんから、元気と勇気をいっぱい貰いました!。

食事

さくらんぼとプリンを食べたという報告をさせていただきました。
そしてとうとう、彼女の口から
「病院食を頼もうかな?」
という言葉が発せられたのです。

これには主治医も喜んでいたほどでした。
口から摂る食事は、点滴よりも体力が回復するからですね。
それまでは、点滴によるブドウ糖の栄養しか、摂っていなかった訳ですから。

昨夜、私は病院に顔を出したのです。
食事が摂れたのかが楽しみだったのです。
しかし、結果は・・・
デザートのゼリーと牛乳を少々という成績で終ったようでした。

まぁ、最初は仕方がありません。
徐々に食べてくれればいいかと・・・。

主治医がおりましたので、ちょっと話をする事ができました。
状況は変わらないとの事・・・。
私はお腹の中にある、肝臓からの出血した血液はどうするのかを聞いて見ました。
そると、やはり管から抜くのは相当なリスクがあるらしいという事。
当分は、自然に吸収されるのを待つという方向らしいです。
しかし、彼女の腹は昨日よりの大きくなっているんだよなぁ・・・。
この腹を小さく出来れば、きっと今よりも食欲が出ると思うのです。

そして私が彼女の病室に戻ると、なにやらお腹が痛いと苦しんでおりました。
私はあの日の様に、背中をさすってあげました。
痛み止めを変えてくれる様に、看護師さんに頼みました。
彼女は
「今日は痛いから帰って!」
という事なので、少々早いけど帰る事になりました。

良くなっているのか、悪化しているのか・・・
良くわかりませんな。
まだまだ、眠れない夜は続きそうです。

近況

多くの皆さんにご心配をおかけしていることを、非常に申し訳なく思うとともに、皆さんのあたたかいお気遣いに感謝の気持ちでいっぱいです。
今日はカミさんの近況をご報告いたします。

長く辛い2日間の後、主治医と話す機会がありました。
主治医の話しによると、現在の容態は非常に落ち着いているとの事です。
非常に低空飛行ではあるけど、平行線を飛んでいるという事でした。
しかし、この低空飛行は上昇する事は考えにくい。
いつかは緩やかに下降するか、もしくは何かをきっかけに墜落する事も考えられる・・・。
そんな事も言われました。

こういった状況も、事実として受け止めなくてはなりません。
しかし、そんな真っ暗闇の中で、いかにほんの少しの光を見つけモチベーションを保つかが、私の課題だと思っております。
気のせいではないか?と言った小さな光が、やがて一筋のしっかりとした光に変わっていく事をイメージしています。
ここ最近、カミさんの病気の事以外にも様々な事がありましたが、そういった出来事も全て感謝する時が来る事を、今はイメージして行こうと思っています。

さて、最新の彼女の事ですが、使用していたモルヒネが少なくなって参りました。
それまでは、薬の影響で様々な幻覚が見られたそうです。
その多くが息子の出演だったそうで、私は滅多に登場しなかったと・・・。
ま、少々複雑な心境であります。
しかし、薬が減った影響でそれも見れたくなったと、本人は少々がっかりしています。
何でも一昨日は、美味しい焼き肉をたらふく食べたとか・・・。
息子が焼き肉に塩をたくさん付けすぎて、顔中塩だらけになりふき取るのが大変だったなどとのたまっております。
私も話のタネに、幻覚とやらをみてみたい気もいたします。

その他、お見舞いに頂いたさくらんぼを、美味しいといって食べてくれた事。
あの2日間以来、はじめて食べ物を口にしてくれました。
初めは私が手渡ししていましたが、やがて彼女の方から手を伸ばして食べたほどでした。
その他には、やはりお見舞いで頂いたプリンを食べたり、少しづつ食欲が出てまいりました。

現在は、肝臓からの出血による血液がお腹にたまっており、そのせいでお腹が張ってしまい食欲が無いようです。
これを改善させて食欲が戻れば、体力が戻り再び病気と戦う体制が整います。
現在は病気と戦うというよりも、病気の症状と戦っていると言う現状です。
症状が落ち着き、再び病気との戦いが出来るようになれば、奇跡を起こすスタートラインに立つ事が出来るのです。
それを信じて、私も出来るだけの事をしてやりたいと考えております。

これからは不定期になってしまうと思いますが、いい事も悪い事も、ここでご報告させていただきます。
皆さん、見ていてくださいますか?。
私たちは今、一生で一番頑張っております!。

長く辛い夜

医師との話が終った後、私は彼女の母に電話をかけました。
そして、彼女の危険な状況を知らせました。

私の同意が取れたという事で、処置は早速行われました。
彼女の主治医は一つのチームを持っています。
その日はチームのメンバーが勢ぞろいしていました。
それだけ危険な状況だったのでしょう・・・。

「大丈夫ですよ、こんなにたくさん先生がいるんだから・・・」
同行してくれた看護師さんが、そんな風に励ましてくれました。
処置室に着き、私はその部屋の前の長いすで待つように言われました。
時間は21時でした。
私はもう、疲れ果て、その長いすに横になって眠ってしまいました・・・。

「猫さん、終りましたよ」
主治医の声で目が覚めました。
処置は成功だと思うが、その後の状況を見ないと何とも言えない・・・
主治医は、そういった事を私に告げました。

やがて彼女のストレッチャーが出て来ました。
彼女は小声で何か言っていました。
その声は、消えてしまいそうな声でした。
「痛いよぅ お腹痛いよぅ・・・痛いよぅ・・・」
彼女はずっと、それを繰り返していました。
付き添いの看護師さんが、彼女の背中をさすってくれました。
彼女は少し楽になったようです。

彼女は病室ではなく、ナースステーションの横のスペースに入れられました。
そこで私は、彼女の背中をさすり続けました。
「痛いよぅ お腹痛いよぅ・・・」
彼女はずっと、それを言い続けていました。
私はすっと、心の中で思っていました。
「泣いちゃイカン、コイツの前でもう涙は見せないって決めたんだ。」

私は彼女の背中をさすりながら、言葉でこう言っていました。
「お前、頑張ったんだってな、すごいなお前は。きっと良くなるぞ。だからもう少し頑張れ。俺はここに居るからな。」
そんな私の言葉を、彼女は聞いているのか・・・ただ
「痛いよぅ・・・」
を繰り返していました。

やがて母と2人の妹が到着しました。
母は私に代わって、彼女の背中をさすってくれました。
私は妹2人に、処置前の医師との話を報告しました。
無言になる妹2人・・・。
みんな彼女を愛しているんだな・・・

私は母と交代で背中をさすり続けました。
痛みが治まらないという事で、私は医師に何か対応してくれるように言いました。
しかし、痛み止めは既に使っていて・・・どうする事も出来ないと。
たった一つの対応と言えば、モルヒネだそうで。
それほど強いものではないという事で、彼女が楽になるのならと、私はそれを了承しました。
やがて看護師さんが、私たちに言いました。
「もうこんな時間ですから、後は私たちにお任せください。」
時間は0時を回る頃でした。

「俺たちな、もう遅いから帰るぞ、後は看護師さんがやってくれるし、先生も付いててくれるって」
「・・・うん。」
彼女は消えそうな声でうなずいた後、また「痛いよぅ」を繰り返していました。
私は母と妹を車に乗せ、江戸川区の実家に向かう途中、先ほどの看護師さんから私のケータイに電話がありました。
「奥様、薬が効いたようでたった今お休みになりました。」
私たちは皆この一報でホッとした気分になりました。
彼女の家族を家に送り、私が流山の家に帰宅したのは、午前2時を少し過ぎた所でした。
こうして私たちの、長くそして苦しい2日間が終っていきました・・・。

最悪の状況の2日間をお伝えしました。
これからは、現在の状況を少しづつ書いて行こうと思います。
少しいい方向のお話も交えて行きますね。

そして、非常にコメントを付け辛い状況の中、たくさんの励ましのコメントを頂きまして、どうもありがとうございます。
その他にも、メールなどで励ましのお言葉を頂戴しております。
「コメントは、何てしていいかわからないから、メールで・・・」
とおっしゃる方もいらして、とても嬉しいです。
こんな時に気遣ってくださる方こそが、本当の友達なんだなと実感しております。
本当に皆様、どうもありがとうございました。

明日吹く風

翌日私は、彼女の薬を届けるという名目で、面会時間外に彼女の部屋を訪れました。
顔色も良く、結構元気なようでした。
私が病室にいると、担当していただいた医師がやって来ました。
私は医師にこう尋ねました。
「搬送は救急車ですか?それとも自分の車で行くのですか?」
「いや、この状況ならばどちらでもいいと思いますよ。」
しかし、カミさんは迷わず救急車を選びました。
恐らく、私に前日のような体験をさせたくないという配慮だったのかもしれません。

その日の昼頃、搬送する救急車がやって来ました。
救急車には、その日我が家に泊まってくれた母と、本人の要望により息子が同乗しました。
息子は初めて乗車する救急車に、少々はしゃいでいました。
私は着替えやその他の荷物を、自分の車に乗せて出発します。
当然の事ですが、私の方がかなり遅い到着になります。

そのまま彼女は引き続き点滴をされ、身体の痛みなどがある他は今までと同じ顔をしていました。
1時間ほど経った頃、血液の検査をするという事で、看護師さんがやってきました。
私たちは、主治医のいる病院に彼女が来た事で、ちょっと安心していました。
入院生活で足りないものをリストアップして、その日は夕方頃家に帰ったのです。
しかし、この日の辛く長い一日は、この後始まる事になるのです。

ちょうど家の階段を上っている時に、私の携帯が鳴ります。
「ご主人ですか?日医大病院です。実は、奥様の貧血の原因がわかりました。そのために少々危険が伴う処置をしなければなりません。申し訳ないのですが、これからもう一度病院の方にお出で願えたらと・・・」
私は部屋に戻り、少し飲み物を口にした後、再び車を走らせたのです。

病院に着くと、医師からの説明がありました。
私が絶望したのは、その時でした。

「奥様の病気は、かなり進展しています。貧血の原因は転移した肝臓からの出血でした。これからカテーテルを使って患部の出血を止める処置をします。万が一今回の処置で、血管に傷を付けてしまった場合や、合併症を引き起こした場合、最悪の事態になります。その事の同意書を書いていただきたいのですが・・・。」

「残念ながら、奥様の病気は治るという状況ではありません。もしかすると、ここ2・3日という事もお考え下さい。」

その後、万が一の時の延命処置などの話しをしました。
彼女の時間がなくなり、私たちが家から来るのに間に合わなかった場合、彼女自身が苦しむ事になる延命処置を望むか?と言う話でした。
私はそういった処置をお断りしました。
彼女が少しでも安らかに旅立てるのならば、私が居なくても・・・。
私は医師にそう告げ、話し合いは終りました。

私たちには、明日の風は吹くのでしょうか?。